樋渡知樹選手インタビュー
- Kasumi
- 4月23日
- 読了時間: 22分
更新日:4月24日

2025年最初の個別インタビューはアメリカ代表の樋渡知樹選手。
取材の依頼は2024年の夏に行っていたのですが、樋渡選手のスケジュールと私の都合がなかなか合わず、オフシーズンとなった今回ようやく実現しました。
樋渡選手との出会いは2018年に遡ります。
以降、何度もお話をする機会はあったのですが、意外と深い会話はしたことがなく、今回初めて知ったこともあるインタビューとなりました。
3月27日、練習先である、木下アカデミー京都アイスアリーナに伺いました。
この日は1時間弱のジャンプ抜きの練習。
その理由は捻挫をしてしまったからとのこと。
ランニングをしていた時に可愛らしい犬に出会い、そちらに気を取られていて、足を捻ってしまったと。
そのエピソードを屈託なく笑いながら話す様子は、皆様がご存知の通りの明るい”THE樋渡くん”そのもので、取材が終了するまで終始笑いが絶えませんでした。
樋渡選手はとても優しい声で流暢な関西弁を話します。
話す言葉の中には四文字熟語がたくさん出てきて、私より言葉選びが日本的だと感じる場面がたくさんありました。
ご家族のこと、アメリカチームのこと、日本での練習やプライベート、将来のことまでたくさんのお話を伺いました。
・アメリカから日本に拠点を移した理由を教えて下さい。
1年半前、シーズンが終わった時に結果が出ていなかったので、何かしら環境の変化というか何か変えなきゃいけないなと思いました。
結果が出ていなかったので、世界ジュニアなどでお会いし、昔から知っていた濱田先生(※濱田美栄先生)に教えていただけないか打診をさせていただいて。
紆余曲折ありながら、全体的にトータルでみて大きな変化が必要だと思い、こちらに移りお世話になることに決めました。
・リンクメイトの反応はいかがでしたか?
僕が来る前にある程度聞いていたんじゃないですかね、驚かれたとかはなく自然に受け入れていただきました。
そこは本当にありがたかったです。
ゆっくり、とけこませていただきました。
・ご両親が日本人で、度々、日本に来る機会があったと思いますが、
アメリカ生まれ、アメリカ育ちの樋渡選手が日本で生活するということは我々が異国で生活することと同じ苦労があるのではないでしょうか?
日本に住むのは初めて、そもそもアメリカから出て暮らすのも初めて。
そしてもう1つは、一人暮らしも初めて。
色々な面で自分に変化が必要でした。
他国での生活は、なんとか一人でやっていけてます。笑
親、コーチ、友達など、今までいろんなことをまわりの人に助けてもらっていたんだなと気づくことができました。
それを感じ、より一層練習しています。
・ホームシックはありませんでしたか?
異国と言う感じは今だにあります。
アメリカに帰ると、空港に着いた時に帰って来たなあと感じます。
日本の方が海外に行き、羽田や成田に着くと帰って来たなあとほっと感じるように、僕もアメリカのどこの空港だとしても到着するとほっとします。
・練習をしている中で日本とアメリカの違いはありますか?
日本のスケーターはみんなストイックだなと思います。
濱田先生、洸彬先生(※佐藤洸彬先生)の教え方、技術などいろいろ違う面もあります。
自分の知らなかったこともあります。
・木下以外で練習する機会はありますか?
あまりそういう機会はないです。
木下が休みの時に関空のリンクで何回か滑らせてもらったことがありますが、ほとんど木下で過ごさせていただいています。
・1日の過ごし方を教えて下さい。
オフシーズンに入ってようやく1回落ち着きました。
落ち着いてゲームができるようになって嬉しいです。笑
背中をケガした後の6月にここに来ました。
こちらに来てケガを治しながら、オフがあまりないまま最初のシーズンが始まりました。
去年はBOIがあったし、引越し後でやることもいっぱいありました。
今年のオフシーズンに入ってようやく落ち着いてゲームなどができるようになりました。
コロナ期間にはゲームをし、ネットで友達をつくる機会がありました。
アメリカでオフ会をすることもありましたし、日本でもオフ会に参加しています。
英語が話せるとヨーロッパやアメリカ、その他、いろいろな国の人とオンラインゲームで繋がることができます。
ゲームによっては日本人がたくさん集まることがあります。
こっちに引っ越したんだ、日本にいるんだ、関西圏にいる、とか話しをするとじゃあ会おうよって。
いろいろな方に会いましたね、大学の教授とか大学生、専業主婦の方とか。
・樋渡選手がスケーターであることは知られているのですか?
スケーターであることは会ってから伝えることもあります。
もちろん、親しくなった人にだけです。
特別扱いをされることもなくそれは有難いと思っています。
スケート関係でしか友達はできないかなと思っていたけれど、スケート以外の友達もできて嬉しいです。
あとは大学の通信の授業をとっています。
19−20歳のシニアに上がった年から勉強しています。
高校卒業前に大学はどうするか考えました。
16歳の世界ジュニアでは3位。
そして19歳のジュニア最後の年はスケートに集中することに決め、高校を卒業してから1年は進学をしませんでした。
・19歳の世界ジュニアでは優勝。金メダルを獲得されましたね!
将来はどういう仕事に就きたいとか、明確なものはありますか?
全然気にしていないです。
カムデンやヴィンセントのように金融系とか銀行員とか明確なものや将来像はまだないです。
とりあえず将来役に立ちそうなビジネスの単位をと。
自分の頭の中ではスケートが1番、1番、1番って。
その後のことは辞めてから考えればいいやと思っています。
スケート、ゲーム、勉強。その3つが生活の基本です。
日本に来てから、コロラドって自然がすごく豊かでいいところだったんだと感じます。
そして、日本は車はもちろんのこと、電車でどこにでも行けるというのが便利でいいところだと思います。
1人で奈良公園に行き、鹿に餌をあげるのがすごく好きです。鹿が好きなんです。
奈良の公園はよく行きますね。
外国人が多いし、アメリカにいるといろいろな人種の方がいるので。
奈良、京都、大阪などで海外からの観光客の人を見ると親近感を感じます。
・他にもおすすめの場所、お気に入りの場所はありますか?
ジミー(※ジミー・マ)が去年日本に来た時、錦市場に行きました。楽しかったです。
カムデン(※カムデン・プルキネン)が来た時も出かけました。
ジミーの時も、カムデンの時も軽く誘われて、じゃあどっか行く?ってみんなで集まりました。
・お友達は多い方ですか?
友達も限られてきますね。
全米のシングルカテゴリーは昔は30人近く出ていたんです。
今は18人。
同世代もしぼられてきてジェイソン(※ジェイソン・ブラウン)、ジミー、そして僕が3、4番目の年長者になりました。
全米に行くたびに あれっ、ここで1番年上?やばいって。
自分が年上の側にきちゃった。
僕がシニアに入った時、ジェレミー・アボットやマックス・アーロンがいたんです。
僕はひよっこでしたから信じられないですね、年をとったなって。笑
体力はピークがきているんじゃないですかね。 ちょっと下っているかも。
体力で言うと20−21歳がピーク?
22、23歳の頃は結果も悪くて。
コロラドの標高のトレーニングについて僕はあまり得を感じなかったです。
標高が低いところに下りても変わらない。上がるとしんどい。
コロラドは好きですが、環境としては標高は自分には合わなかったですね。
この前、四大陸選手権がコロラドであったじゃないですか。
みんなしんどそうやなあって。わかるよー、わかるーって思いました。笑
・スケートをしていなかったら、何をしていたと思いますか?
あー、あの多分、僕、おかんがしっかりしている親なので、おかんがちゃんとそばにいてやってくれたら、まあ普通には育っていたと思います。
スポーツはやってたかなあ。いや、わかんないです。
少なくとも球技が全くダメなんです。
投げるのも蹴るのも、野球も!
ちょっと前に、スポッチャに行ったんですが全然ダメ。打てないですから。笑
興味で言うと、体操とか。
スケートをやっていない時、例えばケガをしている時とかは体力作りのために運動はしますが、その他には観光に行くか、家で1日中ゲームをするか。
ニートっていうルートもあったのかな。笑
でも、おかんがきっちりしているので、横道には逸れなかったと思います。
スケートをしていなかったら何をしていたか、いつも結論は出ないんです。
勉強をすごくがんばるタイプではないです。笑
上の姉は音大にいって、下の姉は日本で短大を出て、アメリカでまた大学に行きました。
姉2人は結婚していてしっかりしています。
・樋渡選手はケガや病気が多いイメージがありますが....
はい、多いと思います。手術をしたことはないです。
足首は13歳の時に骨折。
それから背中。
背中は2−3年に1回は何かしら痛いなという状態があるかと。
一昨年は骨折もありました。
あとは今シーズン、NHK杯で咳のしすぎであばらを折りました。
肩は左を3、4回脱臼して。こちらはもう大丈夫です。
そして去年、右肩を5回脱臼しました。
四大陸のSPの演技中もカクッてはずれて入りました。
ゴールデンスピンのキスクラでジャケットを着ようとした時も、NHK杯の期間中、夜ご飯を食べに行こうとジャケットを着ようとした時にもはずれました。
最近は上着を着るだけでカクンとはずれます。
今までは脱臼をしたら1週間くらいは痛みましたが、今は5秒くらい痛むだけです。
なんとも思わなくなりました。
NHK杯でやっているからやらなきゃいいのに、ゴールデンスピンでまたやっちゃって。
キスクラでふとした行動で、あっ、今抜けたって。
良くも悪くも慣れた感じです。カクッととれて自然に戻る。
寝ている時も意図せずあるかも知れませんね。
とはいえ、予防していたら大丈夫です。
スケートが終わったら手術をした方がいいとは思います。
8、9歳頃は喘息がありました。今はないです。
他にはナッツアレルギーが出た世界ジュニア。
ブルガリアに向かう、行きの飛行機の機内食を食べてアナフィラキシーになりました。
・そんな体調の中、棄権をせずに演技をされましたよね。
後からその話を聞き、本当に驚きました。
1番体調がしんどかった試合は?
あばらを折っている中での今シーズンのセクショナルはしんどかったですね。
ジャンプは制限しましたが。
NHK杯、セクショナル、ゴールデンスピンと今シーズンはしんどかったです。
NHK杯の1週間前に熱が出て4日間、練習ができなかったんです。
月曜日に治ってアイスに乗ってすぐ、木曜日からNHK杯でした。
・演技後に、あんなに泣いたのは初めてですか?
あのー、FSの後は本当にあばらが痛くて。
痛みと、”やったー!”と言う気持ちで涙が出ました。笑
FSの朝から痛かったんです。
NHK杯は波乱でした。
今回で4回目かな?
そこそこいいかなと思える演技はありましたが、さすがにそろそろいい演技をしたかったんです。
全米もSP以外は頑張りました。
自分の中ではトゥーループはできたりできなかったりという状況が多いジャンプ。
1番難しいものだと思っています。
アクセルはもともとすごく苦手なジャンプでした。ジュニアの頃から。
アクセルができたら全部できるでしょぐらいの。
ここ(木下)に来て、アクセルがだいぶ安定してきました。
アイスに乗って、アクセルやってきなさいって言われたら、ポンってできるくらいになりました。
トゥーループは昔から7−8割の確率のジャンプです。
はまるかはまらないかは、その時次第だねえっていう気持ちです。
・今シーズン最後の試合となった四大陸選手権出場は、樋渡選手にとって非常に難しい状況だったと思います。
大会の前にアメリカの連盟からは何かお話はありましたか?
四大陸は事故の後で、何かしらできたらいいなとは思っていました。
僕が選ばれたのは事故の影響。
マイナスになる、ネガティブになることもありました。
僕自身も悲しい気持ちでした。
事故に巻き込まれた方の気持ちに応える演技ができたら、そして見ている人にも楽しんでもらえたらと思っていました。
少なくともロング(FS)はそれができました。
メディアからの質問でいろいろと聞かれるかも知れないという話はしていました。
アメリカチームはチーム全体で乗り越えようという気持ちでいました。
・今までで1番印象に残っている試合を教えて下さい。
去年のNHK杯、ザグレブの世界ジュニアとその年の1つ前の試合だった四大陸選手権です。
その四大陸選手権は、”世界ジュニアに行くぞ!”という気持ちを持って挑んだ試合でした。
2020年の四大陸選手権も自分の中で、しっかりまとめられた試合です。
ああ、でも、1番はジュビナイルで初めて優勝した2011年の試合。
それは今だによく覚えているし、よく見返す試合ですね。
5歳からスケートを始めて、10歳で優勝した、その結果からアメリカ代表になるまでの序章。
曲はなんだったかなあ、可愛らしい曲やってました。
カントリー系の曲でチェックのシャツにデニムのズボンのコスチューム。
それは好きでしたね。
それが自分の中のスタートだったかなと思います。
・いろいろな状況を見たことがありますが(笑)、試合にまつわる失敗談を教えて下さい。
バンケット用のスーツを忘れることが多すぎて。
僕がスーツを着ていない時、正装できていない時は忘れた時です。
コイツ、また忘れたなって思って下さい。笑
大抵、忘れたら現地で買います。GUとかでシャツだけ現地調達。
寝起きで急いでバスに乗って、パジャマのまま行った試合もありました。
JGPの試合です。
どうせコスチューム着るからいいか、もういいやって思ったんです。
とにかく急いで出なきゃ、急いで出なきゃって。
今だったらUberですが、その頃はまだジュニアで、しっかりしなきゃ、バスに乗らなきゃいけないという気持ちしかなくて。
バスに遅れそうで着替える時間が惜しかったんです。
上はジャケットを着ているから目立たないんですが、どう見てもズボンだけスケートじゃないやつ。笑
どこだったかな、その試合の場所や結果は覚えていないです。
海外の試合は忘れ物が多いです。
でも対処ができます。
僕の信条としては、スケート靴とコスチュームさえあればなんとかなる。
部屋着のままで練習に行ったこともありました。
JGPFのカナダです。
その頃、著作権にひっかかるような、キャラクターシャツを着るのはやめようという流れがありました。
練習を開始し、パッとジャケットを脱いだらLINEのブラウンのくまの部屋着でした。
”あっ、着替え忘れた!”って、急いで脱いで裏返しにして着て練習を続けました。
僕、リンクで上半身裸になって着替えて、その場面を”撮っちゃいました”って写真に撮られていたので、”消してもらっていいですか?”ってお願いして。笑
・私もその時のことをよく覚えています。
くまが大きく描かれたシャツでしたよね。衝撃でした。笑
実は私もその場面を写真に撮ったのですが、さすがにこれは...と思いお蔵入りです。笑
多分、僕がコーチになったとしたら、”何やっとんねん!”って絶対に怒ると思います。
でも、僕はコーチは向いていないと思います。
昔から言葉にするのがあまり得意ではありません。
最近、宇治クラブで教える機会があったのですが、教える時に初めて、自分のやっていることを言語化することが多いんです。
感覚でやっていることが多いので、その感覚を言語化して子どもたちに教えるのは難しいんです。
楽しいけれど向いているかいないかでいうと向いていないかな。
スケーターはそれぞれジャンプの跳び方が違います。
子ども1人1人も跳び方が違うので、そういう意味では子どもの個性や持っているものをころさずに、その子の技術に落としこむのは難しいと思います。
オフシーズンで時間があったら、依頼があったら、おじゃまさせていただいています。
あの子どもたちは、僕の指導をどう思っているんだろうと思います。笑
・今、行きたい場所はありますか?アメリカにしばらく帰りたいとか?
アメリカはいずれ帰る場所です。
温泉は好きですし、遊園地も好き、山も好きです。
コロラドにいた時に、山に登ろうと言われたら”ええっー”ってなるけど、いざ行くと楽しかったです。
山登りにハマっていたヴィンセント(※ヴィンセント・ジョウ)にはずっと誘われていました。
もう勘弁して、もうええやん!って。笑
最近は連絡をとっていないです。忙しいみたいですし。
スケートを辞める時には連絡をとろうと思います。関係は永遠ですね。
ヴィンセントとカムデン、アンドリュー(※アンドリュー・トルガシェフ)。
この3人とはジュニアから一緒にやってきました。
コロラドでも一緒でした。
年齢も近いし、これからもずっと関わっていきたいし、僕は少なくともこの3人は特別だと思っています。
カムデンとヴィンセントはNYで会う機会があるって聞きました。
とりあえずスケートが終わってから、いつになるかわかりませんが、NYには遊びに行きたいですね。
カムデンは結構、頑張っているみたいで、四大陸の時も仕事をやらなきゃって言っていました。大変そうですね。
・みなさんととても仲が良いですよね。
3人も樋渡選手と同じ気持ちのように感じますが....
僕の一途な恋かも?笑 あいつ、しょっちゅう連絡くるなあって思われているかも。
それはわからないです、それはわからない。笑
相手もそう思ってくれていたら嬉しいですね!
将来、結婚式とかも呼ばれたら嬉しいですね。
僕が結婚できるかどうかはわかりませんよ。笑
・ご自身の長所と短所を教えて下さい。
基本的に僕は自分のことが好きなんです。
ナルシストっていうほどではないですが、自己中(自己中心的)なんですよね。
自分のことが好きだから、物事を考える時に自分が自分を嫌いになることはしたくない。
自分のことが好きだからやらなきゃいけないなって考えます。
自分のことを嫌いになるのが嫌ですね。
自分に選択権が与えられた時に、こうすべきと思うことはやるようにしています。
かっこいい自分でいたい。
自分ではあまり意識をしていませんが、自分のことが嫌いになることはあまりありません。
それと同時に短所は自己中なところです。
まわりに目がいかないことも多く、自分のことしか考えていない、まわりが見えていない。
・それは自分に集中しているということでは?
自分が切羽詰まっている時にはまわりが見えていなくて、関係が崩れてしまうこともあります。
親と喧嘩をする時もそうです。
おかんがぎゃあって言ったら、ぐわって言い返して、お互いに応酬して。
こっちに来てから、おかんから電話がくると、今日は何を言われるんやろって。笑
僕の事を思っていろいろと言ってくれるんですが、おかんの言葉が強くなると僕も言葉が強くなってしまうので。
普通に話せたら、ああ今日は普通に話せた!って。
・なんでも言い合えるご家族との関係は素敵だと思います。
そうですね。そうだと思います。
両親の熱心なサポートには本当に感謝しています。
・樋渡選手にとってスケートとは?
楽しいことです!
楽しいことは楽しめるうちにやっとくのがいいかなって。
自分が楽しいと、見て下さる方やまわりも楽しんでいただけると思うので。
僕の考えとしては、将来、できればジャッジやテクニカルスペシャリストをとりたいなって思っています。
難しそうですよね。あまり調べていないですが....
上手く教えられる自信がないのでコーチという選択肢がなくて。
将来、どういう仕事に就くかはわからないけれど、スケートに関わるとしたらジャッジやテクニカルスペシャリストになって未来の子どもたちに関わりたいです。
いつかスケートを辞めてから考えます。
スケートをやっている間は考えていません。
全部空想で、自分のビジョンは今は何もないです。
成功しているとか普通にやっているとかいう自分が想像すらできないです。
スケートを辞めたら社会に1回出るのが目標です。
でもずっとやってきたスポーツなので、スケートには関わっていきたいと考えています。
自分の同世代で言うと、コンラッド(※コンラッド・オーゼル)も辞めてしまって。
”えーっ、今、辞めちゃうの?一緒に頑張ろうよ”って思いました。”辞めないで”って。
なんかちょっと、1つずつ欠けていくような気がします。
まあもちろん、スケート以外の人生もあるし、強制できるものじゃないですが。
去年、今年から自分がいつ辞めるのかなとか考えるようになりました。
・オリンピックを区切りにする選手は多いですが、そうではなく、ご自身がやり切ったと思えた時に引退を選択していただきたい、それは多くのスケートファンの方が思っていることだと思います。
1日でも長く滑って欲しい、1つでも多くの競技プログラムが見たいというのもファンの心情だと思います。
そうですね。終わる時は”やったー!”という時にしたいと思います。
ファンの方からDMをいただくこともあります。
できるだけ読ませていただき、ファボもできるだけしています。
でも悪いとこなんですよね、僕の。
ジュニアの頃は全員にSNSのお返事をしてお手紙も返して、そういう気持ちではいたんです。
がんばらなきゃとは思うんですが、インスタのフォロワー数が1000、2000、5000、7000と、数が増えるとメッセージも増えて。
時間がある時にお返事をしていますが、なかなか最近はできていないです。
髙橋(※髙橋大輔)さんや羽生(※羽生結弦)さんが現役の頃、たくさんのファンの方が会場にいらっしゃいました。
その中には僕らのことも見て下さった方もいて有り難いと思いました。
今でも会場に来て下さる方もいると思います。
GPの試合全部を見て下さっている方もいるし、そういう方に支えられているんだなあと感じています。
イリア(※イリア・マリニン)はもう、異次元です。4Aは唯一無二の武器です。
ネイサン(※ネイサン・チェン)の”4回転全部跳べます”というのも唯一無二でした。
そんな”4回転全部跳べます”というスケーターがアメリカから2人出てくれたことは本当に嬉しいことです。
2000年は4Tを入れはじめる時代。
そしてサルコー、トゥーループ、4回転を2つ入れたら最強の時代があり、ネイサンやボーヤン(※ボーヤン・ジン)が出てきて。
今回の四大陸も3A+1Eu+4Sみたいな...笑
全体としてそういう選手がいるとスポーツ全体が伸びていくんだろうなと思います。
僕、4回転跳べた時、”仲間入りした!!”って思ったんです。
”おっ、ついに...みたいな”。笑
でもこのスポーツはどんどんどんどん進んでいくなって。
・木下のリンクメイトで注目している選手はいらっしゃいますか?
麻央(※島田麻央選手)ちゃんじゃないですか?(即答)
僕はヴィンセントとか練習を見てますけど、ネイサンもそうですけど、ご両親が子どものために頑張って、熱心で。
アメリカで成功しているのはそういうタイプ。
お母さんに支えられているところがあるんですよ。
多分イリアも似たようなものだと思うんです。
でも麻央ちゃんはそうではない。
練習のアプローチを見ていると一人で黙々と頑張って練習して。
僕は日本の選手じゃないのでわからないですけど、だから自分の中の指標は麻央ちゃんなんですが、日本のトップ選手はそうなのかな。
スケート一色なのはすごいなと思います。
だって僕、ヴィンセントとは家で一緒にめちゃくちゃゲームをしていましたもん。笑
カムデンもアンドリューもゲームをしたりとか遊びに行ったりとか。
ネイサンとも試合の時に遊びに行ったりしました。
スケートに全てを捧げる姿勢というか、今まで僕がアメリカで見てきたものとは1つレベルが違います。
当然、技術はあります。そして、努力しているから当たり前に強い。
麻央ちゃんが負ける姿が想像できないですもん。
イリア、ネイサン、ヴィンセントはジャンプ、スケーティング、スピンなどトータルで技術を見て負ける訳がないって思いますが、麻央ちゃんはそれ以外にも普段の姿勢や練習を見ていると負ける訳がないと思います。 アメリカの子たちとは毛色が違う。
それが国柄の違いなのかどうかはわからないけれど、羽生さんや宇野(※宇野昌磨)さんもそうだったのかな、すごいなあって思います。
僕は切り分けないといけないタイプです。スケートはスケート。
楽しくスケートをやって家に帰ったら必要なトレーニング、ケア、リカバリーはしますが、それ以外はプライベート。ゲームをしたりと切り分けます。
麻央ちゃんは全てが繋がっているんだろうなあ。
分けないんだろうなあ、全部1つなんだろうなあ。
僕は結構楽しんでいます。日本に来て、楽しませてもらっています。
スケートももちろん楽しいですし、日本のこの環境も!
・最後に、来シーズンの目標を教えて下さい。
やっぱりオリンピックです!言うだけはタダなんで。笑
僕が今までに出た1番大きな試合は四大陸です。
世界選手権やオリンピックなど少しでも、1つでも上の大会に出たい。
一歩一歩、上を目指していきたいです。
そして、1つでも多くの試合に出たい。
僕の演技を見て楽しんでもらいたいんです。
今シーズンは全米にピークがくるように調整しましたが、来シーズンは頑張って、7月、8月くらいの最初にピークを合わせて初戦から結果を残したいです。
ずっとピークは続かないので、1回落とさなきゃいけないんですが全米にもピークを合わせて。
日本国内だと木下杯、アメリカ国内だとクランベリーカップが初戦になるのかな。
プログラムについては1つはまたキャシー(※キャシー・リード先生)と一緒にやりたいと思っています。
・そう語って下さった樋渡選手ですが、先日Instagramで来シーズンのFSはミーシャ・ジーさんの振り付けであることが発表されました。
樋渡選手の新たな一面が見られる予感がします。
北京オリンピックの年の全米選手権は、コロナに罹患し、残念ながら欠場。
来シーズンは体調万全でオリンピックシーズンが迎えられますように。
※樋渡選手あれこれ
樋渡選手のサインはお父様が考案したものだそう。
HIWATASHIの部分はご家族の皆さんが使っている共通のサインで、知樹の”知”の漢字の中に片仮名の”キ”が入っています。
英語、そして日本の漢字と片仮名を取り入れた、とても素敵なサインになっています。
ファンの皆様はご存知だと思いますが、樋渡選手のお父様はブログを書いておられました。
2013年1月が最後のブログになっていますが、幼少時の樋渡選手のことがたくさんの写真と共に綴られています。
その文章はユーモアを交えつつ明確で、”読みもの”としても大変おもしろい、素晴らしいブログです。
樋渡選手のお話にも出てきた、ジュビナイルで優勝した時の可愛らしい衣装のお写真も投稿されていますので、ぜひ探してみて下さい。
”Goo blog 知樹のスケート日記”と検察すればでてきます。
写真、インタビュー:Kasumi Nabikawa
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