全力で最高のラストシーズンを滑りきった樋渡知樹選手に悔いなし
- 16 時間前
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2026年3月1日(日)、京都にて樋渡知樹選手のファンミーティングを開催しました。
この会を開催しようと思った経緯について、ファンミーティングの冒頭の挨拶でお話ししましたので、その一部を引用します。
私と樋渡選手との出会いは2018年、ブルガリアで開催された世界ジュニア選手権でした。
その時はじめて、生で樋渡選手の演技を拝見しました。
大会終了後、偶然ホテルのロビーでお会いする機会がありました。
当時は彼が日本語を話されるのかも分からず、少し緊張しながら声をかけたのですが、とても流暢な日本語でお話ししてくださり、その物腰の柔らかさと誠実なお人柄に強く心を惹かれたことを、今でもよく覚えています。
それ以来、毎年複数の大会で樋渡選手の演技を拝見してきました。
当時は一観客でしたが、カメラマンとして活動するようになってからも、その姿を追い続けています。
皆さまご存知の通り、樋渡選手は3シーズン前から拠点をコロラドから京都に移され、そして今シーズンをもって現役を引退されることを四大陸選手権後に発表されました。
正直に申し上げて、とても寂しい気持ちはあります。
けれども同時に、これから始まる第二の人生を心から応援したいと思っています。
本日は「引退おめでとう」と明るく温かく送り出す時間にできればという思いで、このファンミーティングを企画いたしました。
今日は、たくさんのお話を伺いながら、皆さまとともに楽しい時間を過ごせればと思っております。
ファンミーティングでは、終始笑顔で楽しまれている樋渡選手の姿がとても印象的でした。参加者の皆さまからの質問は途切れることがなく、この会を一緒に盛り上げてくださり、樋渡選手とともに温かい雰囲気を作っていただけましたことに、心より感謝申し上げます。
今回、主催にあたりスタッフを募りましたが、お声がけくださった方々との都合が合わず、企画・進行・撮影のすべてを私ひとりで行うこととなりました。
そのため樋渡選手、そして参加者の皆さまにはご迷惑をおかけした点があったかと思います。
そんな中、樋渡選手のお母さまがお手伝いくださり、さらに姪御さんも受付をお手伝いしてくださいました。
お二人の存在は大変心強く、本当にありがたく感じました。心より御礼申し上げます。
会場をより華やかにしてくださったのは、デザイナーの伊藤聡美さんからのお花でした。
その色彩豊かなお花は圧倒的存在感がありました。
そして、参加できなかったファンの方からのプレゼントやお花も多数、会場に届きました。
また今回はご都合が合わなかったものの、司会や撮影を本業とする方々からも運営スタッフとしてお申し出をいただいておりました。
これも全て、樋渡知樹選手という大きな存在があってこそだと、改めて感じました。
ファンミーティング中の写真や動画をほとんど撮影することができませんでしたが、参加者の皆さまがXに写真や動画を投稿してくださっています。
’’#樋渡知樹選手ファンミーティング’’で検索ください。
たくさんの投稿をありがとうございました。
Ice Traceからはファンミーティングにお越しくださった皆さまへ、ステッカーとポストカードを、お楽しみ抽選会の景品として当日展示した写真パネル、過去の全米選手権のパンフレットを用意しました。
ステッカーは防水加工がされていますので、スーツケースやノートパソコンなどに貼ってお楽しみいただければ幸いです。
樋渡選手のお母さまは3種類のアクリルスタンドとお土産(お手紙付)をご準備くださっていました。
そして樋渡選手からは、使用されていたスケート靴を抽選会の景品としてご提供くださいました。
この3シーズンで獲得されたメダルや使用されていたお衣装なども展示のためにお持ちくださり、お忙しい中、ご準備くださったことに心より感謝いたします。
参加者の皆さまの樋渡選手に対する熱い想いと、それに応えようとする樋渡選手のお心遣いにより、終了予定時間は大きくオーバーすることとなりました。
想いの全てを伝えようとして涙を流されるファンの方も多数いらっしゃり、そのお気持ちを受け取る樋渡選手の言葉の一つ一つに込められた優しさには胸を打たれました。
引退を迎える樋渡選手とファンの皆さまが最後にこのような時間を共にできたことを、嬉しく思います。
樋渡選手がお話ししてくださった、スケート靴についてのお話はとても印象に残りました。
長く支え続けてくださった技術者のブルースさんが、樋渡選手の足や癖に合わせて3Dプリンターで補強部品を作り、スケート靴を加工してコロラドから送ってくださっていたそうです。
ブレードについてもカスタムブレードを使用しており、他のスケーターよりも約2.5倍の強度のものを使用していたとのことでした。
靴はRISPORT社、ブレードはJohn Wilson社から長年提供を受けており、競技生活は多くの方々に支えられて続けることができたと、感謝の言葉をたくさん述べられていました。
そして、「もし、もう一度全米選手権をやり直せるとしても、あれ以上のフリースケーティングを滑ることはできなかった。自分のできる最高の演技だった。」とお話しされました。
「オリンピックに行くことはできなかったけれど、全力で戦い、すべてを出しきった。」というその言葉と明るい表情には、どこか神々しさすら感じられました。
“結果ではなく、そのプロセスが大事なのだ”という言葉を様々なジャンルのアスリートからよく聞きますが、今回、お話をうかがいながら、私の中には「全力で最高のラストシーズンを滑りきった樋渡知樹選手に悔いなし」という言葉が自然と浮かんできました。
オリンピックは視聴されたそうで、特に印象に残った演技として佐藤駿選手の名前を挙げられていました。
また、友人でもあるアンドリュー・トルガシェフ選手の演技にも触れていました。
今後については、貿易関係のお仕事に就かれるそうです。
すでにタイへ出張をされたとのこと。
4月にはアメリカへ引っ越しを予定されており、ちょうどそのタイミングでテクニカルスペシャリストになるための講習を受け始めるそうです。
大学の単位取得も間もなく完了するとのことで、仕事、テクニカルスペシャリストの資格取得、そして学業を並行して進めていく予定だそうです。
小さな大会からのスタートになるそうですが、予定通りに進めば、テクニカルスペシャリストとしてデビューする日も遠くないようです。
また、リンクメイトが現役で出場している間は、お仕事の都合がつけば全日本選手権も見に来たい、そして全米選手権も観戦したいとお話しされていました。
1つの質問から話題を広げ、様々なエピソードや情報を惜しみなく話してくださり、その受け答えの的確さや視野の広さから、改めて、とても頭の回転が速く、知性とユーモアにあふれる方だと感じました。
Ice Traceでは樋渡知樹さんの人生の節目に、また取材をさせていただければと思っております。
このレポートの最後に、今回お仕事の都合で参加が叶わなかったお姉さまからのお手紙を掲載させていただきます。
このお手紙は四大陸選手権後に私からお願いしてお預かりしたものです。
当初は別の機会に掲載する予定でしたが、ファンミーティングの開催が決まった際に、その日まで誰にも伝えず、最後に代読することを決めてお預かりすることにしました。
(以下、お姉さまからのお手紙)
――
知樹へ
四大陸選手権、日本から観ていたよ。
そんな日はずっと先のことだと思っていたのに、知樹の口から「ラストパフォーマンス」と聞いた時、これまでのいろいろなことが思い出されて、胸がぎゅっとなりました。
といっても、私は知樹がスケートを始める前にすでに日本に帰国して、その後は一緒に暮らすこともなかったので、きっと家族の中ではスケートのことを一番何も分かっていない、とんちんかんな姉だったことでしょう。
それでも遠く離れている時も、SNSで名前を入れればいろいろな知樹の姿を見ることができて、まるで推し活でもするように、せっせと追いかける時間が幸せでした。
欲を言えば、もっとずっとこうしていたかったな。
一回り以上年の離れた弟ができると聞いたあと、「おかん(知樹しかそう呼んでないけど)」から赤ちゃんの名前を考えてあげてと言われて、中学生ながら何日も一生懸命考えた、樋渡リチャード知樹という名前。
アメリカで生まれ育つから、「Tom」と略すこともできる「知樹」というファーストネームを。
そして親しみを込めて名前を呼んでもらえたらと、さまざまなニックネームがあるRichardというミドルネームをつけました。
あれから26年。
これほど多くの方々に「知樹」と呼んでもらえるようになる未来は想像していませんでした。
知樹が大きな夢に向かっていく日々を、家族として応援できることがいつも誇らしかったです。
一緒に夢を見させてくれて、ありがとう。
これからもまだまだ、知樹の夢の続きを、陰ながら応援させてね。
姉
最後に、この素晴らしい時間をつくってくださった樋渡知樹選手、ご家族の皆さまに改めて深く感謝申し上げます。
文章:Ice Trace Kasumi Nabikawa





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