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村上遥奈選手インタビュー・後半「世界を目指す17歳の素顔」

  • 4 日前
  • 読了時間: 10分



オーストラリアで始まったスケート人生


村上遥奈のルーツは、オーストラリアにある。

父は香港出身。長年オーストラリアで暮らし、大学も同国で卒業。

その後、オーストラリア国籍を取得した。

一方、母は日本出身で、二人はオーストラリアで出会ったという。

「私は一人っ子です。8歳までオーストラリアで暮らしていました。」

現在は日本で生活を続ける村上だが、幼少期の思い出はオーストラリアで育まれた。

8歳で日本へ移り住んだ当時のことを尋ねると、「あまり覚えていないです」と笑顔を見せながらも、言葉の違いには苦労したことを明かした。

「日本語と英語が混ざっていました。今は英語を使う機会が減ったので、少しずつ忘れてきてしまっています。」

そんな村上がスケートと出会ったのは4歳のときだった。

きっかけは、家族に連れて行ってもらった『ディズニー・オン・アイス』。

氷上で繰り広げられる華やかなショーに心を奪われ、「私もやってみたい」と思ったことが競技人生の第一歩となった。

「オーストラリアでスケートを始めて、初めての試合も向こうで経験しました。」

幼い頃に抱いた憧れは、やがて競技への情熱へと変わっていく。

そして、その小さな一歩が、現在の村上遥奈へとつながっている。



オリンピックを目指す新たな挑戦

日本からオーストラリアへ。国籍変更という大きな決断を下した村上遥奈。

その先に見据えているのは、世界の舞台、そしてオリンピックという夢だ。

「まずは海外の試合に出場して、ひとつひとつの試合でベストを尽くしたいです。

そして、オリンピックに出場できたら本当にうれしいです。」

目標を語る口調は穏やかだが、その言葉には揺るぎない決意が感じられた。

競技生活の中で大きな財産になったというのが、ペア競技での経験だ。

森口澄士とペアを組み、世界の舞台を経験したことは、競技者としての視野を大きく広げた。

「ペアを組んだ年は、海外の試合にたくさん出場させていただきました。国内大会とはまったく雰囲気が違っていて、お客さんもすごく盛り上げてくださるんです。海外ならではの緊張感もありましたし、知らない国へ試合で行く経験ができたことは、本当に勉強になりました。」

海外遠征を重ねる中で、多様な文化や観客の熱気に触れたことは、演技だけでなく人としても大きな成長につながったという。

ペア競技については「今後、再び挑戦する予定はありません」としながらも、「ペアリフトがとても好きでした」と当時を懐かしそうに振り返った。

現在は、再びシングルスケーターとして新たなスタートを切り、オーストラリア代表として世界へ羽ばたこうとしている村上。目の前の一試合を大切に積み重ね、その先にあるオリンピックという夢を見据えながら、新たな挑戦を続けている。


ケガと向き合う今

世界への挑戦を目指す一方で、現在の村上はケガとの戦いの最中にある。

痛めているのは、成長期特有の骨の状態によるものだという。

「骨が成長している部分が、少し剥離したような状態になっています。もう3週間くらい、ほとんど何もできていません。早く治したいです。」

思うように氷へ立てない日々は、競技者にとって決して楽な時間ではない。それでも村上選手は、焦る気持ちを抑えながら回復に努めている。

これほど長期間リンクを離れるのは珍しいことではない。

木下アカデミーを離れるタイミングで約2週間休養したことがあり、さらに2年前には腰を痛めた際にも同じくらいの期間、練習を休んだ経験があるという。

しかし、その経験があるからこそ、ケガと向き合うことの大切さも理解している。

現在は関空と岡山を拠点に練習を続けており、平日は岡山に滞在。

週末には京都・宇治の自宅へ戻り、学校にも通いながら指導を受けている。

今後は新たな生活基盤を整える予定だ。

環境が大きく変わる中でも、その視線は常に前を向いている。

まずは万全の状態でリンクへ戻ること。

焦らず、一歩ずつ歩みを進めることが、今の村上にとって何よりも大切な時間となっている。


「世界観」を大切にする理由

村上遥奈の演技が多くのファンを惹きつける理由の一つが、プログラム全体を一つの作品として表現する「世界観」へのこだわりだ。

その思いは、演技だけでなく、衣装やヘアスタイルにも及ぶ。

リンクの上で美しく見える髪型を追求するため、自ら試行錯誤を重ねる。

その細かな積み重ねが、村上ならではの表現力につながっている。

衣装作りにも積極的に関わるようになった。

「自分の意見をしっかり伝えるようになりました。」

昨シーズン演じた『タイタニック』のプログラムでは、自ら「この曲を滑りたい」と希望を伝え、衣装のイメージについても細かく相談したという。

「こんな雰囲気がいいと伝えて、それを受け入れていただけたので、本当にうれしかったです。全部にこだわりました。」

演技、音楽、衣装、そしてヘアスタイル。

そのすべてが調和して初めて、自分が思い描く一つの作品になる。

そんな妥協のない姿勢が、村上の演技に独特の世界観を生み出している。

競技生活の先には、ファッションやメイク、旅行に関わる仕事にも興味があるという。

「世界各地を訪れ、さまざまな文化や景色、人との出会いを経験してみたい」そんな未来への憧れも口にした。

しかしその一方で、「スケートやアイスショーに携わる仕事ができたらうれしい」と話す姿からは、氷上で表現することへの変わらぬ愛情が伝わってきた。


和製ラジオノワ

フィギュアスケートファンの中に、村上を「和製・エレーナ・ラジオノワ」と呼ぶ人がいた。

ロシア代表として活躍したエレーナ・ラジオノワは、競技力はもちろん、ファッションやメイクへのこだわりでも知られ、「おしゃれ番長」として多くのファンに愛されたスケーターだ。村上もまた、衣装やメイクを含めた世界観を大切にし、自分らしさをリンクの上で表現する選手。その共通点から、このような愛称で呼ぶファンがいたのだ。

このエピソードを村上本人に伝えると、「本当ですか?」と驚きながらも、とても喜んだ様子を見せた。

ラジオノワのことは知らなかったというが、「あとで動画をチェックしてみます」と笑顔で話していた。


憧れのスケーターたち

演技や衣装、ヘアスタイルまで含めた「世界観」を大切にする村上遥奈。

その感性は、自身が憧れるスケーターたちからも大きな影響を受けている。

真っ先に名前を挙げたのは、本田真凜だった。

「夢みたいに綺麗で、見ているとうっとりしてしまいます。」

演技の美しさや豊かな表現力に強く惹かれているという。

実際に本田と顔を合わせる機会もあった。

「関大で、たまにすれ違うことはありました。写真を一度撮ってもらったんですけど、緊張しすぎちゃって……。」

気持ちを伝えられたのか尋ねると、村上は照れ笑いを浮かべながら首を横に振った。

「伝えられないです(笑)。全日本の滑走順抽選会でもお見かけしたんですけど、『綺麗だな』って思いながら見ていました。」

現在、本田はアイスダンスへと新たな挑戦を続けている。

「アイスダンスも楽しみです。ご縁があったら、全日本を見に行けたらいいなと思っています。」


もう一人、憧れの存在として名前を挙げたのが、アメリカのイザボー・レヴィトだ。

「スケートも衣装も大好きです。」

ジュニア時代には、ジュニアグランプリファイナルでレヴィト本人と会う機会があり、サインをもらったという。

「サインをいただいたんです。でも、それ以来は会っていません。シニアの選手とは、そんなに会う機会もなくて……。『好きです』とも言えなかったです。緊張しちゃいました。」

リンクでは堂々と演技を披露する村上だが、憧れの選手を前にすると、一人のフィギュアスケートファンらしい初々しい一面をのぞかせる。


一方で、海外大会を経験する中で、同世代の海外選手との交流も少しずつ広がっている。

「去年のジュニアグランプリでは、スイスのレアンドラ・ツィンポウカキス選手とお話しすることができました。」

世界各国の選手たちと交流し、憧れのスケーターから刺激を受けながら、自身も世界へ羽ばたこうとしている村上。その姿からは、競技力だけでなく、一つの作品を創り上げる表現者として成長し続けたいという強い思いが伝わってきた。


家族への感謝が支える競技人生

村上遥奈の穏やかな人柄の根底には、家族の存在がある。

ファンから「優しい」「気遣いができる」と言われることについて尋ねると、本人は少し照れたように笑いながら首を振った。

「そんな自覚はないんです。でも、自分がされたらうれしいことや、嫌だと感じることは何か、いつも考えています。相手の立場になって接するようにしています。」

自然に口にしたその言葉からは、幼い頃から育まれてきた思いやりの心が伝わってくる。

現在も成長期の真っただ中にあり、身長は158~159センチほど。

ケガでレントゲン検査を受けた際には、医師から「まだ成長しますね」と告げられたという。「160cmを超えられたら理想です。」


そんな娘の成長を、誰よりも近くで支えてきたのが母親だ。

「すごく優しくて、本当に愛情をたくさん注いでもらいました。幸せな人生を送らせてもらっています。」

母親とは何でも相談できる関係だという。

「姉妹みたいな存在でもあるし、お母さんでもある。本当に感謝しています。」

感謝の気持ちは、行動でも表している。

時間があるときには自宅で料理を作り、母の日や母親の誕生日には手作りのお菓子をプレゼントするという。

「料理は結構します。ピザを生地から作ったこともありますし、ステーキとか料理はなんでも。デザートだとホールケーキを焼いたこともあります。クッキーは得意なので、母の日や誕生日によく作っています。今年の母の日は、ピンクのハートのクッキーを焼きました。

そういうことを大切にする家族で、毎年サプライズをしています。」


家庭では、父親とは英語、母親とは日本語で会話をするのが日常だ。

「家族3人で話すときは英語です。お母さんとふたりのときは日本語ですね。」

家族から注がれた愛情、そして何気ない日常の積み重ね。

その温かな支えが、村上の競技人生を力強く後押ししている。


「練習は裏切らない」―不安を乗り越えるために

リンクの上では華やかな演技で観客を魅了する村上。

しかし、その裏には誰にも見せない葛藤がある。

試合前は、自身でも「本当にネガティブ」と話すほど、不安が大きくなるという。

「転んだらどうしよう、とか、失敗したらどうしようとか、最悪のことばかり考えてしまうんです。イメージトレーニングをしようとしても、転んでいる場面ばかり浮かんできてしまって……」

ジャンプを跳ぶ直前も、「無理かもしれない」という思いが頭をよぎる。

それでも、不思議と体は動き、ジャンプを成功させていることも少なくない。

そんな弱い自分に打ち勝つため、村上が何よりも大切にしているのが日々の練習だ。

「本当は直さなければいけない性格なんです。でも、自分は練習で100%できるようにして、『無理』と思っても跳べるくらいまで練習するしかないと思っています。」

その言葉には、才能だけではなく、努力を積み重ねることで自信を手にしてきたアスリートとしての覚悟が込められていた。

「練習は裏切らないので、私はそっち派です。」

短い一言だが、その言葉には競技人生そのものが凝縮されているようだった。


また、競技を続ける上で欠かせない存在が、苦楽をともにしてきた仲間たちだ。

「陽菜ちゃん(吉田陽菜)とは、オーストラリアの試合で会おうねって約束していて、今でも毎日連絡を取っています。柚奈ちゃん(長岡柚奈)、唄菜ちゃん(吉田唄菜)、恵ちゃん(山田恵)、星名くん(高橋星名)もそうですが、木下のみんなは本当に家族みたいな存在です。」

環境が変わっても、仲間との絆は変わらない。

その支えがあるからこそ、新たな挑戦にも前向きに踏み出すことができるのだろう。

世界への挑戦は、決して平坦な道ではない。

それでも、努力を積み重ね、不安を乗り越えながら一歩ずつ前へ進む村上。

その言葉と姿勢は、多くの人の心に勇気を与えてくれるはずだ。


まとめ

オーストラリアでスケートと出会い、日本で技術を磨き、再びオーストラリア代表として世界へ挑む村上遥奈。

努力を積み重ねながら、自分だけの「世界観」を氷上で表現し続ける姿は、多くの人の心を惹きつけている。

昨日、「先週から少しずつジャンプの練習を再開しました」と、うれしい知らせも届いた。

オリンピックという大きな夢へ向かって歩み始めた17歳。

その挑戦は、まだ始まったばかりだ。


取材日 2026.6.5

文章・写真 

Kasumi Nabikawa



 
 
 
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